「同じドアをくぐれたら」と願う。
手に入れるために、捨てるんだ。
僕はBUMP OF CHICKENのファンです。やっとファン歴2年のひよっこですが、今までのアルバムは全部聞きました。隠し曲も毎回楽しみにしてます。
そんな中、最近よく思い出す曲が「同じドアをくぐれたら」なのです。ユグドラシルいいですよね。
社会人へのカウントダウンが迫り、やるべきことが格段に増えてきたこの時期、求められるのは「取捨選択」です。自分のやりたいこと達に優先順位をつけて、時間が足りなくなった時は優先順位の低いことから切り捨てる。さもなくば何も成し遂げられなくなってしまうからです。
まさに歌詞がこの通りのことを言っているように聞こえます。少なくとも僕は。
例えばこの部分。
もう 気付いたろう 僕に君のドアは見えない
同じドアをくぐれたら―― と願っていたよ
学校で出会った親友や恋人と、未来永劫仲良くやっていきたいわけですよ。でも学校を卒業したら、なかなか会う機会がないわけですよ。人それぞれに夢があって、別々の夢を追う未来があるから。ドアが違えば、未来も違う。同じ未来、同じドアはくぐれないんです。
さぁ 時は来た 繋いだ手を離すんだよ
カラになった手で それぞれの鍵を受け取ろう
手を離さないと鍵は受け取れないんです。未来に進めないんです。
もう 気付いたろう 目の前のドアの鍵を
受け取れるのは 手の中がカラの時だけ
最初は漠然としていた歌詞の意味が分かってきます。
ただ一人だけ
ダメ押しです。もうわかってるから。やめて。
駆け足で説明しましたが、僕にはこんな風に聞こえたという解説(?)でした。
僕の考えと全く違う解釈をする人もいるでしょう。どんな人生だったかによって様々な解釈は生まれます。その多彩な人生の多くに当てはまる歌詞を書けたからこそ、BUMP OF CHICKEN は一躍有名になったのではないでしょうか。
なんとかまとまりました。お疲れ様です。