天才と馬鹿は、兼ね備え。

音楽、ゲーム、世迷言。大概の記事に具体的な証拠がないです。直感で書いてるので、直感で理解してほしいと思うのです。

歌うことに善悪なんてなかったことに今更気づく、って話。

「誰かが作詞作曲したやつ歌う奴ってなんやねん!操り人形かよ!自分というものを歌えやワレ!」と思っていました。

 

でも、そういうケースもあるのだなあ、ということに最近思い当たりました。

ひとつは、作曲者のイメージを具現化してあげているケース。作曲者みな歌がうまいとは限らないし、それに多くの歌には声のイメージもつきまとうものだろうし。「千の風になって」を、いわゆるアニメ声の人には歌ってほしくないですよね。そういった時は、誰かに頼みたいよなあ…と、自分でも思います。

ひとつは、演じているケース。この歌詞はどんな人物の目線なのかを意識して、その人物になりきる、ってことですね。その可能性を除いてしまったら、「役者」という職業、成り立たないですし、ね。実際、それを楽しんでいる人もいるみたいですし…。(スキマスイッチのVo.の人が「相方の作詞した―自分には全く当てはまらない―歌を、なりきって歌うことが楽しくなってきた」みたいなことを、どこかのインタビューで言っていた気がします。)
後から考えてみると、この2つ、ほぼ同時に起こることのようにも思えてきました。歌ってもらうなら、自分の気持ちを汲み取れる人じゃないと駄目だし、逆に誰かの曲を歌うような人は演じることに長けていないと駄目ですし。
他にもある気がしますが、今回は「視野が広がった」ということだけでも収穫だと思ってます。

 

またひとつ、大人になった…かもしれません。