仕組まれた遺伝子だった、それでも。
人って単純です。
ご無沙汰しております。
才能という言葉、なんとなく使ってませんか?自分より優れた何かを持った人に対して、とか。ありがちですよね。
才能は存在します。つまらない言葉にすると、遺伝子の問題です。人ができることってのは、だいたい遺伝子で決まっています。
ただし、自分より優れた何かを持った人と才能がある人は、別問題です。
確かに才能は存在しますが、それ以上に、人間やろうと思えばなんでもできるんです。若ければ若いほど。
優れた人を「才能がある」で一括りにするのは愚かです。
今流行りの英才教育なんかがそれです。ピアノが弾ける人が揃って口にするのは、「ピアノは財と時があればだれでも弾けるようになる」という結論です。ただ、習得するスピードや上手い下手に関しては才能が参戦してくるのでは。
しかし、僕は英才教育って何か怖いです。人類史のタブーに近づいてる気がします。物心ついていない子どもが見たまま感じたままの技術のみを習得させられて、数年後に自分の意思を持った時、混乱すると思います。あれ、なんでこんなことやってたんだっけ、と。英才教育で学べるのは、表面的な技術です。真似事です。
…多分。違ったら是非指摘してほしい。
話は戻ります。
優れた人に人生の道のりを訊いてみれば、おそらく、その優れた理由が才能ではなくその道のりに含まれていることに気づくと思います。
才能で一括りにして諦めるのは終わりにしましょう。本当にやりたいことのためなら、貪欲に技術を習得することも、困難を乗り越えることも、苦ではないはずです。
若いって最高です。
あ、お年を召してしまわれた方々、申し訳ありません。この記事は筆者と同い年くらいかそれ以下の人を中心に書いてしまいました。
数年後に年をとって分かった苦悩編も書きたいです。
以上。