分解して考える話。
うわあ・・・8ヶ月ぶりです。
でも、これはこれでいいのかもしれない。自分のペース、ということで。
機械があったら分解したい。
話には聞いたことがあると思います。意味がわかりませんよね。
でも、分解している本人も、ある意味「わからない」から、分解しているんですね。
あれ分解することでどうなるかっていうと、その機械の「しくみ」が分かってくるんですね。「なるほど、この配線がこれに入ってこれが動くのか」といった具合に。僕はしたことないですけど、きっとそう。
そして実際、そういった方たちは、工学系の仕事に就くことが多いです。いや、多い気がします。ソースは全てテレビ番組etc.ですが。
さて、私達の身近にもありますよね。仕組みがわからないまま使っているもの。機械じゃなくて結構です。
「常識」です。
「学生は勉強に励むのが常識だろう」とか、使ってますね。
常識と言うだけで、説明した気になっていないでしょうか?
そこで先程の例の常識を「分解」してみると、「学生である若い年代のうちはとにかく知識を蓄えるべきだ」という説明ができます。しかし、「常識だ」と言うだけでは、決して伝わらないことです。
そのくらい面倒臭がらず、説明してあげてください、と思うのです。
また、ある人の常識という言葉には、そもそも理論がない場合もあります。単なる「多数派」が、そのまま「常識」と流用されているのだろうな、と思います。
この場合も、「分解」することでそれが明らかになります。なにせ、中身がすっからかんなのですから。
「分解」することは、疑うことです。
自分の言っていることの意味がわからなくなったら、まず「分解」してみることをおすすめします。
それを再構成した時には、きっと胸を張って語れる、立派な理論が成り立っていることでしょう。
8ヶ月という期間は、僕の文章構成力に大した変化を与えなかったようです。
ご意見を、是非とも。